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8月

by Genya Nakamura last modified 2008-09-28 14:58

ながいけの道にどのような植物を描いていくのか?

2008年8月31日(日)

以前、私は提案の中で“ながいけの道”にこの公園の植物を描いていくとお話しました。

“では具体的にどのような植物を描いていくのか?”

私の案としましては、この長池公園を代表するような植物、または公園ならではの植物がよいのではないかと思っていました。しかし、この公園の植生を調べていくとその数はとても多く、自生植物だけで718種類、動物や昆虫にいたっては、鳥類が78種類確認、トンボが40種類以上、蝶が70種類以上などなど、とても東京都とは思えない自然豊かな環境であることがわかります。

“では718種類の植物をすべて描くのか?”

ある意味、面白いアイデアかつチャレンジではありますが、もっと的を絞ることができないだろうか?

(例えば園内の季節折々の植物を描いていくだけでも興味深いです。)

長池伝説そこで、とても興味深いことを発見しました。

それはここ長池公園は多摩川水系大栗川支流、別所川の源流部にあたる流域に属しており、水生および水湿地の植物が富んでいるといいます。古くには文政3年(1820年)植田孟しん(うえだもうしん/1757-1843/八王子市千人同心組頭)の「武蔵名勝図絵」の中に「ぬなわ(沼縄)=ジュンサイ」、「河骨=コウホネ」が繁茂していたことが記されているそうです。(長池公園概要参照)

しかし、1967年(昭和42年)旱魃のために長池の水が吐き出され、池内の水生生物がすべて消滅してしまったそうです。それから専門家や地域住民の人たちによりこの長池一帯の自然保護がうたわれ、現在の豊かな環境にまで再生されるにいたったそうです。

以上のことから、この長池公園の植生はとてもこの“湧水”と深く関わっているのだと思いました。またそこ(特別保全区域=奥山)で生育する水生植物がこの土地ならではの植生であり、(しかし残念ながら、かつての水生植物:ジュンサイ、コウホネ、ヒツジグサなどは絶えてしまったそうです)今回のプロジェクトのキーワードになるのではないかと思いました。

そこで、かつてこの長池一帯を彩っていた水生植物をこの“ながいけの道”に私たちと地域の人たちによって再生することができないだろうか?

具体的にはジュンサイ、コウホネ、ヒツジグサなどの水生植物を描いていき、それは長池(四谷)見附橋から長池に近づくにつれて、その水生植物たちの形がはっきりと増えていくようなイメージです。

里山保全整備計画

2008年8月21日(木)

恥ずかしながら、当初私は里山についての知識を全く知らず、またこの長池公園についても全く知らずに、この里山アートのプロジェクトに飛び込みました。しかし、リサーチと公開制作の提案を進める中でいろいろなことが頭の中で明確になっていき、またそれと同時に新たな疑問や好奇心が生まれてきました。

実は前回の提案を考案していく中で、一つ気になることがありました。それは“長池公園そのものが、里山を留意して計画的につくられたものではないだろうか?”という疑問です。

というのも「私の提案」の中で私はこの長池公園を大きく3つのエリアに分けました。このことは現地リサーチの段階で漠然と、また里山研究会の会議の中で明らかにされていたことでした。そして里山についてのリサーチを進めていく中で、“奥山”という言葉を知り、どう考えてみてもこの公園が偶然にではなく、計画的にこの公園を里山の地形に作りなしているとしか思えなかったからです。つまり、この公園そのものが里山の考えに習い、人と自然との関係を築き上げているとしか思えません。そして長池公園のホームページを見ると「長池公園概要」に、この公園を3つのゾーンに分けていることがわかります。(以下) 

・ 利用区域=北エントランスゾーン、南エントランスゾーン、外周緑地ゾーン

・ 保全区域=体験ゾーン、観察ゾーン

・ 特別保全区域=特別保全ゾーン(サンクチュアリ)

3区分の公園マップ

これはまさしく「里-里山-奥山」の区分けではないだろうかという確信が芽生えてきました。

そしてさらに、概要の中の「長池公園の歴史的経緯」を見ていくと、1978年(昭和53年)、私が生まれて一年目のときに“「多摩ニュータウンB-4地区蓮生寺・長池周辺保全整備計画」策定、現在の里山保全整備計画の骨子が示される。”とあります。

里山保全整備計画”とは何か?

何かこの長池公園の歴史に里山にまつわる重大な事柄がもっともっと隠されているような気がしてきました。このことは引き続きリサーチを行っていきたいと思います。

PS:今のところ、この公開制作のタイトルを「ながいけの道」にしたいと思っています。

私の提案

2008年8月19日(火)

<私の提案: 人と自然を結ぶ道を作る。>

先ず初めに、この長池公園全体を見渡すと、大きく3つのエリアに分けることができると思います。

・ 特別保全ゾーン(長池一帯)

・ 観察ゾーン+体験ゾーン(長池と四谷見附橋の中間地帯)

・ 北エントランスゾーン(四谷見附橋一帯)

この3つのエリアを里山の言葉で以下のように置き換えることができるのではないだろうか?

・ 特別保全ゾーン(長池)=奥山

・ 観察ゾーン+体験ゾーン=里山

・ 北エントランスゾーン(四谷見附橋)=里

なぜなら長池公園そのものが地理的にも、構造的にも“里山の縮図”となっているからです。

長池公園の地図

ところで“奥山”とは何か?

「里人が日々利用する山と、多くの接点をもっている山ではあるが、里人の日常的な利用が排除された神々を斎き祀る場所、あるいは里人から神々が存在していると信じられている神々しい山地のこと」(有岡利幸著・里山Ⅰより)

つまり、奥山とは里山とは違い、人の手が加えられていない自然が多く残る場所であり、神々が住む場所であり、当時の人々が神秘的で恐ろしいと感じていた場所である。それはまさしくこの公園の特別保全ゾーン(長池)を指すことができないだろうか?

またさらに長池公園が里山の縮図であるだけでなく、自然と人工の縮図、また多摩市と都心の縮図でもあるといえるのではないだろうか?

そこで、私は「奥山~里山~里」をつなぐ一つの道をこの長池公園に作りたいと思います。それは自然と人がつながる道であり、人と人とがつながる道でもあります。

ではどのようにその道を作るのか?

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ちょうどこの公園には長池(自然)と四谷見附橋(人工)とをつなぐ一本の道があります。それは“ながいけの道”と呼ばれていて、全長約300mといったところでしょうか。その道はほとんどアスファルト?で覆われていますが、特別保全ゾーンの柵の目の前(長池伝説の碑の前)で突然土の地面に変わります。私はここに着目し、より効果的に、また心理的にも奥の細道ならぬ、奥山への道(=人から自然へとつながる道)を演出したいと考えました。

具体的には長池公園内でとれる土や細かく朽ちた肥料などを利用してアスファルトの上に長池公園の植物を描きます。それは長池(奥山)へ近づくにつれて徐々にその描かれている自然の形が増し、穏やかなやさしいグラデーションのように描かれています。人から自然へ、自然から人へのやさしい道を想像しています。

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またこのことが人と自然をつなぐ道になるだけでなく、特別保全ゾーン(長池)そのものがこの公園のもといい、この町のシンボルにならないだろうか?とも考えています。

というのも里山には奥山とは少し意味の違う神の座す山、“神南備山(かんなびやま)”という山が存在していました。

もともと日本には「人々が生活する場所から日々仰ぎ見る特定の山を神、あるいは神が宿っている処とする信仰(里山Ⅰより)」があり、その山を神南備山と呼び、その土地のシンボルであると同時に、人々の心のよりどころであったといいます。

もちろん長池は決して仰ぎ見ることのできる山ではありませんが、貴重な湧水池であり、言い換えれば、我々の生活に水を供給してくれる、また生活を潤してくれる源と呼べるのではないでしょうか?

そこでこの長池公園の特別保全ゾーン(長池)を近年開発の著しいこの町のシンボル=新旧の住民たちのこころのより所にすることができないだろうか?

つまり、このプロジェクトは人と自然をつなぐ道を作るだけでなく、この長池公園に町のシンボルを作ることでもあります。

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私の里山アート

2008年8月15日(金)

ここでは約2ヶ月間のリサーチをもとに、私の里山アートの考えについてお話したいと思います。

私はこの緑の多い公園を訪れるたびに、自然と心と体が中和されていくような感情を抱きました。その自然の色彩やかたちを目で追い、その肌をそっとなで、鳥や植物たちが奏でる声に耳を傾ける中で、あるがままに自分の身を自然に預けるということに近い感覚をそこで覚えました。いやむしろそれは“覚えた”というよりも、子供の頃に培った感覚を“取り戻した”ということに近いと思います。それはただ単に「癒し」という言葉では終わらせたくない何かをこの長池公園に、またこの時代に私自身が求めているような気がします。

それは一体何なのか?

きっとそれは一つに都会生活で窮屈になった自分を解放する術だと思います。都心近郊に住む私は日々の生活に追われ、いつしか狭い視野で全ての物事を捉えているような気がします。しかし、この長池に訪れ、その自然たちと触れ合うことで、その盲目的な視野が少し広がったような感覚を経験をすることができました。そして、私の気持ちはいつしかその「植物たちの様々な形を目で楽しみ、肌と肌との触れあいの中で興じてみたい」という思いを今まで培ってきた審美的な感覚を通して、人と自然とをつなぎ合わせたいと思うようになりました。つまり、人と自然との接点、つながる遊びを興じたいと。

そもそも我々日本人は「自然とどのように共生していくのか?」の命題のもと、時代とともにその答えを出し続けていった痕跡が我々の文化であり、歴史ではないだろうか?しかしその答えを出し続ける中で、我々はいつしかその自然から離れていき、その存在を、その恩恵を忘れてしまったのではないだろうか?もともと自然の一部であった我々人類がいつしか進歩という名の豊かさのもと、その共生の均衡を破り、自然との間に明確な線を引き、自然と人間とを区分してしまったのではないだろうか?さらにその結果、今現在、私たちは地球規模の問題(エコロジーの問題)に直面しているのではないだろうか?

私は今はまだ見ぬこの里山アートに大きな可能性を感じています。

いったい何に対しての可能性なのか?

それは人と人とのつき合い方であり、都市の問題でもあり、人と自然とのつき合い方であり、エコロジーの問題でもあると思います。

もし今これらの問題解決の糸口を見つけることができるのならば、我々の文化を、我々の祖先が築き上げてきた自然との共生のあり方をもう一度見直すべきではないだろうか?そしてそこに含まれる共有の概念、共生の考え方を新たな形で今この時代に呼び起こすことができないだろうか?

私はこの里山アート(公開制作)を通して、この人間と自然との間にアートという媒体を敷き、この今ある境界線をゆっくりと、あいまいに濁していきたいと考えています。その過程で、人とのつながり、自然とのつながりを再認識し、共生のあり方をある形に築き上げたい。

ある形とは何か?

こればかりはやってみないとわかりません。

これが私の里山アートです。

いつの間にか8月の中旬

2008年8月14日(木)

気がつけばもうすでに8月の中旬です。

陰暦8月の異称は葉月、暦ではもう秋ですね。

近所にある田んぼの稲穂が少しずつ黄色みを増してきています。

実りの秋はもうすぐそこですね。

前回から少し間が空きましたが、今月は2ヶ月のリサーチをもとに、少しずつ公開制作のアイデアとコンセプトを固めていきたいと思います。

それでは。


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