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7月

by Genya Nakamura last modified 2008-08-16 20:52

疑問の回答

2008年7月31日(木)

初めてこの長池公園を訪れたとき(今年の春)に気になった光景がありました。

それは園内の森の中に入ると、辺り一面の地面はとてもきれいに整理されており、樹木以外の植物が見当たりませんでした。

(そのときなぜか私は北欧の森の中を連想しました。)

それはどうやらここから来ているようです。

昔の人びとは里山に入り、落ち葉や下草を牛や馬の飼料にしたり、田畑の肥料に利用していました。また不要な樹木は生活の燃料である薪に変え、生活を営んでいました。しかしその里山の環境(=森林を伐採した後に再生した森林)は同時に鹿や猪などの獣たちにとって豊富な食料(草本類や低木の若芽など)を提供し、生育数が増え、近くの田畑が荒らされていったとのことです。

このことから山と里との関係(自然との共存)を築きあげることは決して平坦なものではないことがうかがえます。

そういえば桃太朗のお話で、話しの始まりが確かこんなくだりだったと思います。

「昔々ある村に、おじいさんとおばあさんがおりました。ある日おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました・・・・・」

これはきっと桃太朗のおじいさんが里山へ生活の燃料である芝を刈りに行っていたことを意味するのでしょうか。

ちなみに私が長池公園で見たものは、公園のスタッフの方々が森の中の落葉や下草を集め、竹や木でできた囲いの中で一度腐らせてから園内の肥料などに利用していたものと推測できます。

囲い

囲いの中

驚き

稲敷郡の田んぼ

2008年7月28日(月)

里山について調べていくと、いろいろな発見や驚きがある。

ここでは“田んぼ”についてお話したいと思います。

実は水田の歴史は現在我々が目にするような平地から始まったものではなく、もともと谷間や扇状地の上流部から作られ始め、そこから次第にふもとへと下っていったのだという。私の中で勝手に、「田んぼ=広大な平地」という固定観念があっただけに(私の故郷は茨城県の稲敷郡、その字のごとく稲が広大な平野に敷かれているところです。)、日本の稲作の歴史がそこから始まっていたことに驚きました。もちろん棚田の存在は知っていましたが、てっきりそれは例外なものとばかり思い込んでいました。

なぜそこから始まったのか?

その理由は、稲作に必要な水を谷間や扇状地の上部から平地よりも容易に引くことができ、(なぜなら河川から水を引くには、それに伴った土木工事の技量が求められたため)かつ谷川水は森林の養分を含み、肥料の補給をしなくても済んだためだそうです。そしてより米の収穫量を増やすために苅敷(かりしき)という稲作栽培の技術が生まれたということ。

驚きの連続ですね。

・苅敷=山地(里山)から、落ち葉や草木の若芽・若葉を刈り取り田の中に踏み込んで腐らせ、肥料としていた。(有岡利幸著・「里山」より)

里山とは何か?

2008年7月27日(日)

有岡氏の「里山」より、里山の定義に関するいくつかのセンテンスを以下に抜粋する。

・「村里家居近き山をさして里山と申候 (村落や集落(家居)に近い山を指して里山という)」

・「山に対するものとして人が住んでいるところを里とよんでいる。里と山とは分離したものであったが、日々の生活のうえで里の人びとは周囲をとりかこんでいる山と、持ちつ持たれつの関係を保ってきた。里の人びとが日々の衣・食・住に必要な資材を求めるという生活圏の中にとりこんだ山を里山というのである。」

・「本来的な里山とは、里人が日常的にあまり遠くない山に立ち入り、山の産物利用をくりかえすことにより、里人の生活に役立つ山に改変されたものをいう」

このことから里山とは、自然と人工が隣接している有機的な繋がりの一帯を指すことになる。しかしその定義は相対的なもので、その自然と人間の相互関係は地域によって異なり、様々なかたちがあるという。

・「里山は日本人が古代からの生活のなかで、身近な自然を利用しながら、さらに利用しやすいようにと造りあげてきた人工の自然である。里山はしたがって、広い日本の各地に広がっているため、それぞれの地域ごとにさまざまな歴史と姿がある。人びとが里山に対する認識もまた種々様々である。」

・「日常生活および自給的な農業や伝統的な産業のため、地域住民が入り込み、資源として利用し、攪乱することで維持されてきた、森林を中心としたランドスケープ」

そしてその起源はとても古く、約1万年以前の縄文時代前期頃から形成されていたという事実。里山は近世までは“入会”という村による共同利用であったこと。また“村定”という法律が村ごとに決められ、里山を平等に利用活用してきたこと。そして戦後までその自然との密なつながりが継続されていたという事実。我々の祖先は山(自然の恵み)とともに歩み、文化を育み、日本の歴史を築いてきたということ。

メモ1メモ2

本を読み終えて

2008年7月26日(土)

先週末、やっと「里山」の本(2冊)を読み終えました。

今の正直な感想は、やはりリサーチの場合は現地にただおもむくだけではなく、きちんとした資料や本で調べた方がいいですね!

というのも今まで里山についてわからなかったこと、うやむやにしていたこと、現地リサーチを行っていたときから気になっていてことや疑問に思っていたことなどの答えが本を読み通す中で徐々にわかってきたからです。そして里山に対する私の考え方や見え方がぐぐっとここにきて変化しているのを感じています。

このことはこれから少しずつお話していきたいと思います。

知識のリサーチ

2008年7月5日(土)

先月は3回の現地リサーチを行いました。

どちらかといえば、そのリサーチは里山をあまり詳しく知らないまま、自分の感性に任せて、印象(First impression)を汲み取るというものでした。今月はその現地リサーチをひとまず終了し、里山の知識を本やインターネットを通して詳しくリサーチしてみたいと思います。

というわけで今週、有岡利幸氏の「里山Ⅰ・Ⅱ」(法政大学出版局)を購入しました。

早速読んでいきたいと思います。里山


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